イミジャ歌手人生50年

morisakikazuo2009-03-07

3月2日のKBS「歌謡舞台」は、KBS公社設立記念特別記念番組「이미자 노래 인생 50주년  イミジャ ノレインセン オシプチュニョン」だった。Morris.はこの番組リアルタイムで見ようとしたが、ストリーミングは無理で、後日アーカイブで見ることができた。
あまりにすばらしかったので、こちらで番組の内容を紹介することにしよう。

イミジャは戦後の韓国女性トロット歌手の第一人者である。「エレジーの女王」という別名もあるが、エレジー、トロットにとどまらず、韓国伝統大衆歌謡の偉大な歌い手というべきだろう。

1941年10月30日生まれだから、Morris.より8歳年上で今年古希(韓国は数え歳)を迎える。

デビューは1959年の「十九の純情」だが、その前年KBS「歌の花束」に出演して認めらたのがデビューのきっかけとなった。
以後現在に至るまでレコーディングした曲は二千曲を超える。
64年発表の彼女の最大のヒット曲「椿娘」は、倭色(ウェセク−日本的)歌謡という理由で1987年まで禁止曲となっていた。
代表曲は

「열아홉순정 ヨラホプスンジョン 十九の純情」 (1959)
「동백아가씨 トンベクアガシ」 (1964)
「지평선은 말이 없다 チピョンソヌン マリオプタ 地平線は語らず」 (1966)
「섬마을 선생님 ソムマウルソンセンニム 島の村の先生」 (1967)
「빙점 ピョンジョム 氷点」 (1967)
「서울이여 안녕 ソウリヨアンニョン ソウルよさよなら」 (1968)
「기러기 아빠 キロギアッパ はぐれ父さん」 (1969)
「아씨 アシ お嬢さん」 (1970년)

などだが、これ以外にヒット曲といえるものだけでも400曲にのぼる(@_@)

Morris.は89年に3度目の韓国旅行中、扶余の宿のTVで「イミジャ歌謡生活30周年」を、1999年の韓国旅行でも「イミジャ歌謡生活40周年」番組を見ている。

流石に最近ではTV出演する機会は少なくなったが、今回の番組では17曲を堂々と歌い上げ、衰えを感じさせなかった。歌の上手さは相変わらずである。

会場はヨイドのKBSホール、「椿娘」の前奏とともにイミジャが舞台に登場すると割れんばかりの拍手。ピンクのワンピース衣装のイミジャは20年前とほとんど変わらぬ面貌である。まあ、彼女は若い頃からアジュマ顔だったからなあ(^_^;) 

今日は司会も「歌謡舞台」のチョニンソク(男)と「開かれた音楽会」のファンスギョン(女)の2人がかりである。かなりリキが入っている。

挨拶の後、まずは60年代のヒットメドレー

「황포 돛대ファンポトッテ 黄布マスト」(1964)
「울어라 ウロラヨルプンア 吹けよ熱風」(1965)
「흑산도 아가씨 フクサンドアガシ 黒山島娘」(1969)

司会との短いやりとりのあと、あまり舞台やTVでは歌わなものの、思い入れの深いい4曲をメドレー。

「작별 チャクピョル 作別(別れ)」(1970)
「꽃 한송이 コッ ハンソンイ 花束一つ」(1970)
「벽오동 심은 듯은ピョゴドンシムントゥスン 梧桐を植えるわけ」(1964)
「살아있는 가로수 サラインヌンカロス 生きている街路樹」(1965)

ここまで8曲を歌って一旦退場。ゲストタイムは、チュヒョンミとムンヒオク。
まずはチュヒョンミがイミジャのデビュー曲

「열아홉순정 ヨラホプスンジョン 十九の純情」 (1959)

を歌い、つづけて自分の持ち歌「シンサドンクサラン 新沙洞の人」を披露。
次のムンヒオクは、まず自分の曲「サランエコリ 愛の街」を歌う。
二人とも持ち歌がナムグギン(南国人)作曲の歌というのが面白かった。
続いてイミジャの

「여자의 일생 ヨジャエイルセン 女の一生」(1968)

これは途中からチュヒョンミも加わり、熱唱。
その後、黒のシックなドレスに衣替えしたイミジャが登場して後輩歌手2人と司会を含めてのやりとり。現在トロット界のトップ歌手2人もイミジャを前にするとまるで、新人歌手みたいである(^_^) 
ふたりとも、この舞台にイミジャと共に立てることが光栄で感激で胸がいっぱいだと言ってた。実感だろう。

そしてイミジャの舞台後半は、過去の韓国歌謡の名曲5曲を披露してくれたのだが、この選曲が渋過ぎ(@_@)である。

「사의 찬미 サエチャンミ 死の讃美」(1926) 

これは韓国歌謡の最初の曲と言えるかもしれない。原曲はお馴染みの「ドナウ川のさざなみ」で、創唱したのはユンシムドクである。Morris.はこの歌にも思い入れがある。これについては別記事「死の讃美」を参照するように。
しかし、まさかイミジャがこの舞台でこの曲を取り上げるというのは嬉しいビックリだった(^_^;) 
またこの曲だけは、太っちょのテノール歌手イビョンオクが登場して、間奏部分を歌い上げてた

続いて

「눈물 젖은 두만강 ヌンムルチョジュン トゥマンガン 涙で越える豆満江」(1935)

キムジョングの曲である。いかにも韓国トロットといった曲で、サランバンの常連ポストマンの十八番だった。イミジャが歌うとたしかにエレジーみたいにも聞こえる(^_^;)

「나구네 설음 ナグネソルム 旅人の嘆き」(1939)

ペンニョンソル(百年雪)が歌った、これも韓国歌謡の古典だね。Morris.の周りにもこの歌を愛好する者が多い。特にむくげの会会員の中に目立つのは何故だろう。

「총춘 블루스 チョンチュンブルルス 青春ブルース」(1947)

いや、これはタイトルさえ知らなかった。何と作曲はMorris.が今一番はまってるパクシチュンとなってるぞ。隠れた名曲なのだろうか。手持ちの歌本には掲載されてない。韓国ヤフーやdaumで検索しても見つからなかった。韓国歌謡も奥深いものがある。

「역마차  ヨンマチャ 駅馬車」(1941)

これも全く知らない曲だった(>_<) イミジャなら自分のヒット曲いくらでもあるのに、こういった他人の作品、それもほとんど無名の歌をとりあげる辺りが、余裕だね。
「これらの曲は韓国歌謡の歴史であり、韓国の文化遺産である」という発言もあった。

ここでまた司会者ふたりとのやりとり。
そして最後のステージはお馴染みのヒット曲三連発。

「서울이여 안녕 ソウリヨアンニョン ソウルよさよなら」 (1968)
「기러기 아빠 キロギアッパ はぐれ父さん」 (1969)
「섬마을 선생님 ソムマウルソンセンニム 島の村の先生」 (1967)

最後の「ソムマウルソンセンニム」はチャンユンジョンもカバーアルバムで歌ってたので、もしかしたら彼女が登場するかとちょこっと期待してたのだが、それはなし。でもやっぱりイミジャのこの歌は「椿娘」と同じくらい韓国人に好まれているようだ。先日会った留学生盧恵英さんも、イミジャなら何といってもこの歌みたいなこと言ってたし。
ファンスギョンが「この調子で、60周年、70周年と歌い続けてください」というと、流石にイミジャも苦笑いしてた(^_^;)
司会者に「現在いちばん関心あることは?」と聞かれて「とにかく、今、この瞬間がおしまいの時だ、という気持で生きています」と答えた。これって、ドラマ「私の名前はキムサンスン」の最終話に出てきた言葉「生きなさい 今日が最後の日のように(サルラ オヌリ マジマンナリンゴッチョロム)」に通じるものがあるね。Morris.はこの言葉を座右の銘にしているので、イミジャの答えにもいたく感動した。

そしてお別れの挨拶。今年は4月2日から世宗文化会館で五十周年記念リサイタルが開かれるので、それの準備に没頭してるとのこと。この舞台もその予行演習みたいなものだったのかもしれない(^_^;)

フィナーレは今年発表の新曲

「내 삶의 이유 있음은 ネサルメイユイッスムン 私の生きる理由あれば 」(2009)

40名ほどの男女コーラス隊をバックに、この歌を高らかに歌い上げて番組を終えた。

実に充実の特番であった。ゲストは2人だけでそれ以外はイミジャの一人舞台というのも良かったし、満員の観客が本当に嬉しそうな顔をして、聞き惚れ、口ずさみ、身体を動かし手を振り、心から喜びを露わにしている姿にも感激した。ほんとに韓国人は歌が好きで、それをストレートに表現する。きっとMorris.はそんな韓国人の歌の世界に感染してしまったのだと思う。

Morris.はこの番組すでに5回見たぞ。この原稿打ちながらも当然バックで流しててたさ(^_^)